下山城(身延町)概要: 下山城は鎌倉時代初期の建仁年間(1201〜1204年)、加賀美遠光の孫光重が周辺領主となり居館を築いたのが始まりと言われています。光重は地名から下山氏を名乗り居館内に後の本国寺となる平泉寺を建立しています。
その後、居館としての機能は失われていましたが、応永25年(1481)、武田氏の一族である穴山氏が下山氏居館跡に入り河内領を支配します。穴山氏は武田家家臣として重要な地位を持っていましたが、天正10年(1582)の織田信長甲斐侵攻の際、早々と織田側に寝返り武田家滅亡の一翼を担っています。
穴山氏は領土を安堵され徳川家に組み込まれましたが、安土城(滋賀県近江八幡市安土町)に在城時に本能寺の変が発生し本国へ戻る途中に土民により撲殺されたと伝えられています。下山城の跡地は貴重な事から身延町指定史跡に指定されています。
下山城:上空画像
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