深向院(南アルプス市)概要: 深向院の創建は平安時代の天長年間(824〜834年)に弘法大師空海によって開かれたのが始まりと伝えられています。鎌倉時代初期に武田五郎信光が再興し寺号を信光寺に改称し末寺40ヶ寺を擁する大寺となりました。
当初は真言宗の寺院で泊平(増穂町)にありましたが、南北朝時代に南朝側に与した為に焼き討ちとなり衰微し(後醍醐天皇や後村上天皇の綸旨を入れた綸旨箱、綸旨箱を運んだ勅使籠が寺宝として伝わっています)、応永年間(1394〜1427年)に大井春信(修理大夫)が再興し境内を宮沢(旧甲西町)に移しています。院号は春信の戒名である「深向院殿祖庭松公大居士」に因むもので春信の菩提寺だったと思われます。
天文年間(1532〜1555年)、当時の領主で武田家家臣の跡部大炊介(勝資)が玄紹宗黄(甲府興因寺5世)を招き中興開山し曹洞宗に改宗しました。
その後は武田家からも庇護され天正5年(1577)には寺領が安堵され、武田家滅亡後は新たに領主となった徳川家が庇護しています。武田信玄、徳川家康、勝海舟などが立ち寄ったとされそれら縁の品々を所有しています。境内には桁行12間、梁間8間の本堂をはじめ、鐘楼門や禅堂、知客寮、開山堂などが建立されましたが寛政12年(1800)の火災によりほとんどの堂宇が焼失しています。
寺宝である木造釈迦如来座像は至徳2年(1385)に阿闍梨増光が製作したと伝わるもので桧材、寄木造、座高23.5cm、製作年、製作者が明らかで当時の作風がわかる貴重なものとして昭和46年(1971)に山梨県指定文化財に指定されています。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。甲斐百八霊場第85番。
深向院:上空画像
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