甲府市: 東光寺

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概要・歴史・観光・見所
東光寺(甲府市)概要: 法蓋山東光寺の創建は保安2年(1121)、新羅三郎義光(甲斐源氏の祖)が国家を安寧に導く祈願所として堂宇を造営し境内を整備したのが始まりと伝えられています。当初は興国院と称していましたが、弘長2年(1262)、甲斐に配流になっていた蘭渓道隆(中国の名僧で鎌倉幕府執権北条時頼に見出され鎌倉の建長寺を開山後、甲斐に配流された。)が禅宗寺院として改宗開山して現在の寺号である東光寺に改めました。当時は寺運も隆盛し五山十刹に次ぐ諸山に名を連ねた程でしたが次第に衰退し建長寺派から妙心寺派へ推移していきました。天文年間(1532〜55)、臨済宗妙心寺派に帰依していた武田信玄が再興し甲府五山(東光寺・能成寺・長禅寺円光院法泉寺)に列すると寺運も隆盛し境内も整備されます。天文11年(1543)、信玄の諏訪侵攻により領主諏訪頼重が捕縛され東光寺に幽閉の後自害したとされ、さらに永禄8年(1565)武田家嫡男義信が謀反の疑いで東光寺に幽閉され永禄10年(1567)に死去、2人の墓碑は東光寺の境内に建立されています。天正10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻により武田家が滅ぶと、武田家縁の神社や寺院が焼き討ちとなり東光寺もその兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しています。江戸時代に入り再興、特に宝永元年(1704)に甲府城主となった柳沢吉保、吉里父子が庇護し堂宇の造営や仏像の修復などが行われ再び寺運が隆盛し、境内には七堂伽藍が建ち並び壮観を極めたと伝えられています(東光寺境内には吉里の2人の子息の墓が建立されています)。明治時代初期に吹き荒れた廃物毀釈の流れにより境内が縮小され、さらに昭和20年(1945)の空襲の戦火により本堂や庫裏など多くの堂宇が焼失しその後再建されています。現在の仏殿は天文年間(1532〜1555年)に建てられたと推定されるもので、入母屋、檜皮葺、一重もこし付、唐様仏殿、桁行3間、梁間3間。室町時代に建てられた唐様寺院建築の遺構として貴重な存在で昭和2年(1927)に国指定重要文化財に指定されています。甲斐百八霊場56番札所。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:薬師如来。

東光寺の文化財
・ 東光寺仏殿−天文年間−入母屋、檜皮葺、三間四方−国指定重要文化財
・ 絹本着色水墨墨竹図−江戸時代中期、柳沢淇園作−山梨県指定文化財
・ 木造薬師如来坐像−鎌倉−桧材、寄木造、像高51.5cm−山梨県指定文化財
・ 木造薬師十二神将像−弘長2年−桧材、寄木造、像高88.5cm−県指定文化財
・ 蘭渓道隆書簡−鎌倉時代伝−縦29.0cm、横59.0cm−山梨県指定文化財
・ 東光寺庭園(池泉鑑賞式庭園)−鎌倉時代−伝:蘭渓道隆作−山梨県指定名勝

東光寺
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