要害城(甲府市)概要: 要害城は永正16年(1519)、武田信虎が本拠である躑躅ヶ崎館(武田氏館)の詰め城として築城されました。標高770mの丸山山頂付近に本丸を配置し、麓からは何重もの廓と枡形、掘切、空堀などの防衛施設が配備され要所には石垣が詰まれました。
しかし、実戦経験はなく今川氏勢の福島正成が甲斐に侵攻した際も信虎の正室大井夫人が非難した程度で、織田信長の甲斐侵攻の際は勝頼が新府城に本拠を移していたこともあり戦場にはなりませんでした。
武田氏が滅亡すると豊臣系大名である加藤光泰が一部修築するものの、機能のほとんどが甲府城に移している時期でもあり次第に軽視され慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後廃城となりました。
現在、要害城には中世の山城としての遺構が良好に残されおり平成3年(1991)に国指定史跡に指定されています。又、大井夫人が非難した時に後の武田信玄が生まれたとされ信玄の生誕地とされています(麓の積翠寺にも同様な伝承が伝わっています)。
要害城:上空画像
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