産屋ヶ崎(富士河口湖町)概要: 産屋ヶ崎の名前の由来は神話の時代の時、木ノ花咲耶姫が九州の笠沙の岬を訪れたところ、天津日高子番能邇々芸命から見初められ懐妊しました。しかし、邇々芸命が懐妊に疑念を持った為、木ノ花咲耶姫は富士山の麓に帰され、八尋殿を建立し閉じこもり誰にも会おうとはしませんでした。
出産の日、木ノ花咲耶姫は「もし邇々芸命の子供であれば無事に元気な御子、異なる子供であれば死産するでしょう。」と告げると自ら火を放ちます。燃え盛る八尋殿の中で生まれたのが火照命、火須勢理命、火遠理命の3人の御子で、いつしかこの地を産屋ヶ崎と呼ぶようになり安産に御利益がある霊地(産屋ヶ崎神社:主祭神・彦火火出見命)として信仰の対象となりました。
又、風光明媚な場所としても知られ、江戸時代には俳聖として知られる松尾芭蕉も「野ざらし紀行」の終盤頃に産屋ヶ崎訪れており、ここから富士山を眺めて「雲ぎりのしばし百景つくしけり」の句を残しています。産屋ヶ崎はこの故事に因み芭蕉句碑が建立されています。現在は桜の名所としても知られています。
|