妙福寺(赤沢宿)概要: 長徳山妙福寺の創建は不詳ですが鎌倉時代には既に真言宗の寺院として存在し妙福庵と号していました。建治3年(1277)、又は永仁5年(1297)日蓮宗の開祖である日蓮上人の高弟で六老僧(日蓮が臨終に際して指名した6人の高弟:日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持)に数えられた大黒阿闍梨日朗と地頭である波木井実長が七面山に登拝する折、妙福庵で宿泊した際に当時の住職が日蓮宗に改宗したとされます。
翌日、住職の住民の有志が七面山の山頂まで2人を案内し七面大明神を当寺に勧請すると七面山の管理を任され、身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町身延)9世成就院日学により現在の寺号である「妙福寺」に改めています。
事実上、七面山は妙福寺が所有していましたが妙福寺17世宝蔵院日照上人が身延山久遠寺24世顕是院日要上人に七面山の所有権を譲った事で日照上人は七面山の別当となり鍵の管理を任せられ「七面山開創の鍵取り妙福寺」と呼ばれるようになっています。
天明2年(1782)の赤沢宿上村大火に類焼し堂宇が焼失しましたが、その後再建されています。
本堂は江戸時代に建てられたもので、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部には七面大明神、大黒福寿尊天、鬼子母神が安置されています。
子安八幡堂は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部には大黒阿闍梨日朗が彫刻したとされる子安八幡大菩薩が安置されています。基本的に八幡大菩薩は明治維新後に発令された神仏分離令以後は八幡神として神道の神になった例が多いのですが、妙福寺は神式を排して仏式で祭っているようです。
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