大黒屋(赤沢宿)概要: 赤沢宿は日蓮宗の総本山である身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町身延)とその守護神である七面山(七面大明神)を結ぶ参道沿いに設けられた集落です。当時は急峻な山々が連なり交通事情も悪かった事から身延山久遠寺と七面山までは1日の行程で踏破する事が出来なかった為、赤沢宿が丁度宿場町のような機能を果たし、多くの参拝者が宿泊で利用しました。
赤沢宿は正式な宿場町では無い為、幕府などが許可する宿泊施設である旅籠は設けられませんでしたが、江戸時代中期頃からは制度も緩み、七面山を目指す参拝者が急激に増加するようになった事から住民の居宅を宿所として提供する例が増え(このような慣習は鎌倉時代に久遠寺が創建して以来とか?)、明治時代に入ると多くが旅館業を営むようになりました。
大黒屋の建物は江戸時代末期から明治時代初期頃に建築されたものを明治43年(1910)に改築したもので、木造2階建て、寄棟、鉄板葺き、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、屋号の看板は表裏が異なる表記、2階の手摺の意匠や屋根棟止の水(防火の呪い)の意匠が印象的で、1階軒には「招き板(マネキイタ)」35枚が掲げられています。大黒屋は当時の旅館建築の遺構として貴重な存在で、赤沢宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると、その構成要素の1つとなっています。
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