下部温泉

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下部温泉・歴史・観光・見所
下部温泉概要: 下部温泉の開湯は甲斐の国造・塩見足尼が領内巡視の折りに発見したのが始まりと伝えられています。承和3年(836)、当時の甲斐国司藤原正信が下部温泉で病気治療していたところ夢枕に熊野権現が現れ、この地に祀るようお告げがあり熊野神社を勧請、以降、下部温泉の鎮守となり、現在でも下部温泉で病気が治癒すると杖を奉納するしきたりが続いています。古くから名湯として知られた存在で鎌倉時代に記された日蓮聖人遺文や室町時代の抜隊語録にも下部温泉を思わせる記述が残っています。下部温泉は「武田信玄の隠し湯」などと表現される事が多いようですが、実際は隠し湯というより公認湯といった存在で、武田信虎や信玄が温泉営業の免許状を配布しています。川中島の戦いで傷ついた兵士が湯治したのも事実とされ、武田家家臣の馬場美濃守が下部温泉(現在の源泉館)に対し感謝状を送っています。当時の下部温泉の背後には信玄の隠し金山とも言われた湯之奥金山が控え、採掘者など数千人規模の集落が点在する産業都市としても発展し下部温泉はその消費地や中継地としても重要視され、武田家家臣穴山氏(甲斐東部の領主)は熊野神社の社殿を造営、天正3年(1575)には制札を発布、天正6年(1578)、洪水により下部温泉が大きな被害にあるとがすぐ様再興しています。江戸時代に入ると幕府からも認められ徳川家からも免状が交付、中期になると民衆の物見遊山が活発になり久遠寺や七面山の参拝者が多く下部温泉を利用し活気に満ちていたようです。下部温泉は昭和31年に国民保養温泉地に指定され、近年では国民保険温泉地、日本の名湯百選に選定されています。

下部温泉の泉質 ・ 単純(鉱泉)温泉
下部温泉の効能 ・ 疲労回復、外傷、火傷、リューマチ、神経痛、美容効果、高血圧等

国民保養温泉の選定基準
国民保養温泉地は温泉法第14条に基づいて環境省が指定をした温泉地の事で以下のような基準があります。
 ・ 効能の高さ−泉効が顕著であること
 ・ 湧出量−豊富であること
 ・ 湧出温度−利用上適当な温度を有すること
 ・ 健全性−環境衛生的条件が良好であること
 ・ 周辺の景観・保養地としての環境−景観が優れていること
 ・ 医療設備、スタッフの充実−顧問医が設置されていること
 ・ 災害に対する安全性−安全であること
 ・ 交通の便−比較的便利又は便利になる可能性のあること

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