武田信満

  山梨県:歴史・観光・見所(ホーム)>栖雲寺(甲州市)
【 菩提者 】 武田信満は甲斐国守護職、甲斐武田家12代当主武田信春の嫡男として生まれ、応永20年(1413年)、信春の死去に伴い武田家当主を継いだと思われます。信満の娘は上杉氏憲(禅秀)に嫁いでいた事から、応永23年(1416)に発生した上杉禅秀の乱では禅秀方として行動し、当初は有利に展開していましたが、室町幕府4代将軍足利義持が敵対していた鎌倉公方の足利持氏を支持した事で形成が逆転し、応永24年(1417)に禅秀が鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の境内で自刃に追い込まれ組織的な反乱は鎮圧されました。その後、禅秀に加担した諸氏の討伐が図られ、武田信満には上杉憲宗の軍が派兵され「都留郡十賊山」で自害したとされます。菩提は栖雲寺(山梨県甲州市)に葬られたとされ、栖雲寺の境内には信満のものと伝わる墓碑と、本堂には法名「棲雲寺殿明庵公大居士」が記された位牌が安置されています。

栖雲寺に安置されている案内板によると「 鎌倉大草紙に応永23年(1416)10月、上杉氏憲(禅秀)の乱あり、舅であった甲斐守護武田信満は氏憲に加担し、都留郡にて戦ったが、多勢に無勢で敗れ、応永24年(1417年)2月6日天目山にて自害するとあり、辞世に「梓弓ひきそめし身のそのままに五十のあまりの夢や覚さん」 法名 妙庵道光 信満宝篋印塔は、高さ103cmであり、上部の伏針は形もよく、塔身の四面には梵字がはっきりと刻んである。周囲には家臣の墓があり、宝篋印塔が22茎、五輪の塔が6基その他破損したもの数基あり。 大和村教育委員会 」とあります。

【 寺  号 】 栖雲寺
【 所在地 】 山梨県甲州市大和町木賊
【 創建年 】 貞和4年(1348)
【 開  山 】 業海本浄
【 開  基 】 武田家
【 山  号 】 天目山
【 宗  派 】 臨済宗建長寺派
【 本  尊 】 釈迦如来
【 備  考 】 武田信満の墓碑
山梨県大名菩提寺
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