浅間神社

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創建年垂仁天皇8年(紀元前22年)
祭  神木花開耶姫命
格  式式内社(名神大)論社・甲斐国一宮・旧国幣中社・別表神社
文化財 紺紙金泥般若心経(天文19年、後奈良天皇の「般若心経」、武田信玄が奉納、国指定重要文化財)
浅間神社摂社山宮神社本殿(附:棟札4枚:永禄元年、一間社春日造、檜皮葺、国指定重要文化財)
国次の太刀(寛永〜永正、長さ:104.0cm、反り:4.5cm、武田信玄奉納、山梨県指定文化財)
一徳斉助則の太刀(明治23年、長さ:115.1cm、反り:2.0cm、山梨県指定文化財)
夫婦梅(陰陽二花相寄って一顆を結実する、子宝に御利益、山梨県指定天然記念物)
拝殿(附:旧材1枚、寛文12年、入母屋、銅板葺、平入、桁行7間、梁間3間、笛吹市指定文化財)
武田信玄公自詠の短冊(「うつし植る初瀬の花のしらゆふを かけてそ祈る神のまにまに」笛吹市指定文化財)
武田信玄公の條目(戦国時代、信玄が発布した規則、笛吹市指定文化財)
参拾六歌仙(元禄7年:1694年奉納、拝殿で掲げられています、笛吹市指定文化財)
大神幸祭宝暦絵巻(宝暦年間:1751〜1763年の大神幸祭の様子が描かれた絵図、笛吹市指定文化財)
山宮神社の夫婦杉(推定樹齢300年以上、樹高30m、幹周10.3m、笛吹市指定天然記念物)

神  事例祭:4月15日
場  所山梨県笛吹市一宮町一宮
備  考浅間神社は垂仁天皇8年(紀元前22年)に木花開耶姫命・大山祇命・瓊々杵命を祭る為に創建された神社で、貞観6年(864)に富士山の大噴火を起こし、それを鎮める為に貞観7年(865)に木花開耶姫命のみを現在地に遷座し境内が整えられました。当時、現在の笛吹市内には甲斐国府、国分寺、国分尼寺が設置され文字通り甲斐国の中心だった事から浅間神社は国事の祭祀を司るようになり事実上の一宮としての役割を担ったと思われます。平安時代中期に成立した延喜式神名帳には格式の高い名神大社として列記され名実共に甲斐一宮としての格式を得ています。戦国時代には甲斐守護である武田信玄が庇護し、社殿の造営や、社宝の奉納、禁制による浅間神社の保護を行なっています。武田家が滅ぶとその後に領主となった徳川家康が保護し社領の安堵が行われ、江戸時代には徳川将軍家も追認しています。明治時代に入ると国幣中社に認められ太平洋戦争後は別表神社に選定されています。

甲斐一宮には当社の他、一宮浅間神社(山梨県西八代郡市川三郷町高田)と河口浅間神社(山梨県南都留郡富士河口湖町)が共に論社で、これは平安時代に成立した「三代実録」に貞観7年(865)に八代郡家以南に浅間明神の祀る祠が設けられた事が記載され、当社は当時の山梨郡に属し、他の2社は八代郡に属していている事が根拠となっています。

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