河口浅間神社

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概要・歴史・観光・見所

河口浅間神社(富士河口湖町)概要: 河口浅間神社は山梨県南都留郡富士河口湖町河口に鎮座している神社です。河口浅間神社の創建は貞観7年(865)、前年噴火した富士山の火山鎮護の為、浅間大神(木花開耶姫命)の分霊が勧請されたのが始まりと伝えられています。

元々浅間神社は駿河国(現在の静岡県)で祀られていた神社でしたが、噴火で甲斐国に大きな被害が出たのは駿河国浅間大社神職が怠慢した為と朝廷に訴えた事で甲斐国でも祀られるようになったそうです。

三代実録によると、八代郡の擬の大領である伴値真貞がつ突然神懸りとなり「私は浅間大神で、私の告げた事を理解しなった為に富士山が大噴火してしまった。鎮める為にはすぐさま祝祢宜を選びし社殿を造営し、私を祭りなさい。」と告げました。当時の甲斐国司橘ノ末茂は早速、伴真貞を祝に、伴秋吉を祢宜に任命し祠を設けて篤く奉祭しましたが、一向に噴火が収まらなかった為、石造りの壮麗な社殿が造営し、官社として登録したとあります。

社殿の方向は河口湖を見下ろす方向にあるものの、何故か富士山の方向とは異なる方向を向いています。理由は良く判りませんが富士山信仰では社殿と富士山との配置には余りこだわらないのかも知れません。

上記と略同じ由緒を甲斐国一宮浅間神社(山梨県笛吹市)と一宮浅間神社(山梨県市川三郷町)が伝えています。これは、平安時代に記された「日本三代実録」と「延喜式神名帳」に明確に記載されている事で当時から格式の高い神社として中央にも聞こえた存在だった事を示しています。しかし、これは中央での話であって上記の三社が認識していた訳ではありません。

その為、多くが創建から室町時代中期頃までの経緯が無く、改めて由緒を制作する際に「日本三代実録」と「延喜式神名帳」を精通する識者が、由緒に取り込んだと思われます。

このような事象は、何も浅間神社に限った事では無く、日本全国で本社争いや一宮争いが起こっています。実際、創建当初から連綿と由緒を伝える事は、兵火や火事、水害、衰退、興隆の繰り返しによって不可能に近く、信者の獲得や為政者、領主の庇護を得る為に過度に著名人の来訪があった事を強調してしまいます。

河口浅間神社も中世以前の歴史は不詳で、江戸時代に入りようやく明確になりますが、境内の規模や樹齢数百年の古木大木が多い事などから古くからの大社だった事は窺えます。

河口浅間神社は甲斐国側の浅間神社の中心的な立場として「富士山北口本宮極位浅間神社」や「富士山北室本宮」などと呼ばれ、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に名神大社に列し(有力論社ではあるが甲斐国一宮浅間神社:笛吹市と一宮浅間神社:市川三郷町高田も論社とされる。)広く信仰を広め、歴代甲斐国主や領主などの崇敬の対象となりました。

特に歴代谷村藩主が庇護し、慶長11年(1606)に火災により多くの社殿、社宝、記録などが焼失すると鳥居成次が社殿を造営、鳥居氏が改易になると秋元氏が引き継ぎ慶安3年(1650)には秋元富朝、寛文9年(1669)、貞享2年(1685)には秋元喬知が社殿を改修し、元禄10年(1697)には秋元喬知が大鳥居を造営し絵馬(狩野常信筆)を奉納、元禄15年(1702)に金銅製絵馬を奉納しています。

又、将軍徳川家の祈願所として庇護され、寛永17年(1640)には徳川家光夫人懐妊の際には安産祈願が行われています。室町時代以降に富士山信仰や富士講が民衆に受け入れられると御師と呼ばれる宿坊が軒を連ね社家町が形成され社運が隆盛しましたが江戸時代後期になると富士山により近い吉田浅間神社(現在の北口本宮冨士浅間神社)が隆盛し、当社は衰微します。河口浅間神社は明治5年(1872)に郷社に、大正13年(1924)に県社に列しています。祭神:浅間大神(木花開耶姫命)。

現在の河口浅間神社本殿は慶長12年(1607)に谷村藩初代藩主鳥居成次によって再建されたもので、一間社流造、銅板葺、平入、外壁は真壁造り、極彩色、正面1間軒唐破風向拝付、棟梁は宮大工関善左衛門尉藤原家継等、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から富士河口湖町指定有形文化財に指定されています。

河口浅間神社随神門(神社山門)は切妻、銅板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、外壁は真壁造り板張り、左右に随神像が安置されています。拝殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺、平入、桁行8間、梁間3間、正面向拝付、外壁は真壁造り板張り。

河口浅間神社境内一帯は歴史的に大変貴重な事から平成23年(2011)に「富士山」構成神社として国指定史跡に指定され、平成25年(2013)にユネスコによる「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界遺産に登録されています。

河口浅間神社の文化財
・ 七本杉−推定樹齢1200年−山梨県指定天然記念物
・ 七本杉(御爾・産射・齢鶴・神綿・父母×2・天壌)
・ 河口の稚児舞−氏子で両親の健全な童女の舞−山梨県指定無形民俗文化財
・ 本殿−慶長12年−一間社流造、銅板葺き−富士河口湖町指定有形文化財
・ 参道の杉並木−推定樹齢800年−富士河口湖町指定天然記念物

河口浅間神社:上空画像

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


河口浅間神社:ストリートビュー

河口浅間神社:本殿・随身門・写真

河口浅間神社の立派な大鳥居と石灯篭
[ 付近地図: 山梨県富士河口湖町 ]・[ 富士河口湖町:歴史・観光 ]
河口浅間神社の神々しい参道と長い歴史を刻んだ杉並木 河口浅間神社の随身門と石段、参拝者の身を清める手水舎 河口浅間神社随身門から見た深い時間の流れを感じる境内 河口浅間神社拝殿と石灯篭と深い緑の樹木
河口浅間神社本殿右側面から撮影した画像 河口浅間神社境内の大木群から感じるエネルギー 河口浅間神社の力強い御神木 河口浅間神社境内の背後から写した格式が感じられる社殿の写真


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