山梨県: 青梅街道

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概要・歴史・観光・見所
青梅街道(山梨県)概要: 青梅街道は慶長8年(1603)、青梅地方の成木村から産出される石灰を江戸まで運ぶ搬入路として整備された街道です。甲州街道の脇街道的な存在で、甲州街道の内藤新宿で分岐して青梅宿(東京都青梅市)や大菩薩峠(標高:1897m・山梨県甲州市塩山上萩原〜北都留郡小菅村鞍部)、塩山宿(山梨県甲州市)などを経由して甲府城下の東に位置する酒折村で再び甲州街道に合流します。この区間は甲州街道より短く、関所(萩原口留番所)も限定的だった為、庶民が好んで利用しましたが、甲州街道自体五街道の中で一番利用者が少ない状況でした。山梨県は丹波宿(北都留郡丹波山村)、塩山宿(甲州市)、小原宿(山梨市)の3つの宿場が整備されました。丹波宿は戦国時代から江戸時代初期にかけては黒川金山(鶏冠山・「甲斐金山遺跡」として国指定史跡)の鉱山町として発展しましたが、その後は採掘量が衰微しました。青梅街道が開削されると大菩薩峠を控えていた為、多くの旅人や商人達が利用しました。塩山宿は大菩薩峠の麓に位置し、地名は康暦2年(1380)に創建された「塩山向嶽寺」に起因し古くから開けていた地域です。周辺には向獄寺・恵林寺・放光寺など由緒のある寺院が数多く境内を構えている事から「甲州の鎌倉」との異名があります。

甲州の鎌倉
放光寺−元暦元年、安田義定が創建、大日・愛染・不動明王像は重要文化財
向嶽寺−武田信成と抜隊得勝が創建、絹本著色達磨図と楯無鎧が国宝
雲峰寺−甲斐武田家歴代の祈願寺、本堂、庫裏など多くの堂宇が重要文化財
熊野神社−大同2年に勧請、室町時代に再建された社殿は重要文化財
菅田天神社−承和9年に勧請、甲斐武田家の守護神、家督相続された鎧所有
・ 慈雲寺−暦応年間、夢窓国師により創建、江戸時代末期に私塾を開塾
恵林寺−元徳2年、二階堂貞藤と夢窓疎石により創建、武田信玄の菩提寺

小原宿は青梅街道の宿場町、周辺の物資の集積地として発展し、現在でも街道沿いには古い町並みや枡形の町割などが残され、中でも飯島家住宅(旧飯島楼)は国登録有形文化財に登録され異彩を放っています。 甲州街道との合流地である酒折村に鎮座する酒折宮は「古事記」や「日本書紀」で日本武尊が東夷東征を完遂し凱旋した際に酒折宮(地名)に立ち寄った事が記載された地で、日本武尊は尊に従った塩海足尼を甲斐国造に任じて酒折宮(神社)を創建させたと伝えられています。


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