夢窓国師母堂の墓(市川三郷町)概要: 案内板によると「 国師は建治元年(1275)伊勢国に生まれ、4才の時家をあけて、ここ平塩に移った。9才の時平塩山白雲寺空阿法印について出家。その後、名僧に追随し教法を極め、後醍醐天皇からあと六代の天皇より国師号を賜わった。国師の母は平氏の出身で平塩に移った年の八月に亡くなられたという。文久年間里人鈴木徳右衛門が石塔を建て供養した。大正13年には甲府地方裁判所検事正の主唱で記念碑も建てられた。」とあります。夢窓国師母堂の墓は奈良時代から戦国時代にかけて当地域の信仰の中心として大きく栄えた平塩山白雲寺の境内に位置していますが、平塩山白雲寺は天正10年(1582)の武田家滅亡と本能寺の変による織田信長の自刃に伴う天正壬午の乱の兵火により焼失しています。
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