北杜市: 勝永寺

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概要・歴史・観光・見所

勝永寺(北杜市)概要: 龍樹山勝永寺は山梨県北杜市明野町上神取勝永寺境内を田圃越に写した写真に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。勝永寺の創建等は不詳ですが屋代越中守勝永が自らの菩提寺として開かれたのが始まりとされ、寺号も勝永の名前に因んで付けられています。勝永は信濃室賀城主室賀満正の4男として生まれ天正3年(1575)に屋代政国(叔父)の養子になると屋代左衛門尉忠照に改称しています。屋代家は武田家に従い長野県の屋代郷1万石を領していたましたが天正10年(1582)に武田家が滅亡すると、森長可(織田家家臣)、同年本能寺の変で織田信長が死去すると上杉景勝、徳川家康が信濃に侵攻すると徳川家と主家を変え、家康の信濃平定で功があった事から旧領である更科郡内の領地を安堵されました。

さらに慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功で信濃国内でも領地が与えられ、慶長19年(1614)の大坂冬の陣では旗奉行を務め、今福の戦いで大功により甲斐巨摩郡内に領地を与えられました。元和8年(1623)には徳川忠長の付家老として小諸城(長野県小諸市)の城代となりましたが元和9年(1623)、享年66歳で死去し勝永寺に葬られています(戒名:良岳玄帳大居士)。

勝永寺の境内近くには寛延3年(1730)に後裔である忠国が建てた墓碑があり、昭和51年(1976)に北杜市指定文化財に指定されています。勝永寺の山門は江戸時代中期に馬場関所(須玉町江草)の関所門として建築され、明治時代に入り関所が廃止されると檀家の人々が勝永寺に寄進したと伝えられるものです。

山門は高麗門形式で、切妻、桟瓦葺、一間一戸、数少ない関所門の遺構として貴重な事から昭和53年(1978)に北杜市指定文化財に指定されています。甲斐八十八ヶ所霊場第51番札所。山号:龍樹山。宗派:臨済宗妙心寺派。

勝永寺:上空画像

高麗門を簡単に説明した動画


勝永寺:ストリートビュー

勝永寺:写真

勝永寺境内に建立されている山門を撮影した画像
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